この数字なーんだ?【103】川崎市誕生から今年で100年。そのきっかけとなった浄水場は103年前、幸区にできたんだよ!

がくさんぽ Vol.12「幸区大好き関区長に会い隊!」

がくさん
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幸区の区長、関敏秀さんに会いに行ったよ。区長の経歴を教えてもらったら、大きな仕事を担当する経歴の持ち主でした!

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関区長の経歴

大学卒業後、川崎市の役所で福祉(障害福祉課で)のアルバイトをしていて、1985年7月に市役所に入庁。最初は交通局の経営調査課に就き、予算、決算の調製の事務を行ってたんだって。その後、議会事務局、総務局庶務課を経て、2006年に初めての区役所勤務になりました。

中原区役所で区民会議の発足に携わったり、タワーマンションがどんどん増えた武蔵小杉のエリアマネジメントに関わったんだって。それからエコキャップ運動を川崎で最初に広めたのは、関区長なんだよ。

当時、ゴーヤの緑のカーテンなど、エコの取組を推進していたんだけど、エコキャップは地域の子どもたちが毎日区役所に届けに来てくれて、多くの方の協力をいただいた結果、区役所の倉庫が満杯になるほど集まったんだそう。

ミューザ川崎シンフォニーホールの復旧も

その後、市民こども局(現在の市民文化局)庶務課長として勤めていた2011年には、東日本大震災が発生。その年の4月からは被災したミューザ川崎シンフォニーホールの復旧を担当する部長になったんだって。

ミューザ川崎シンフォニーホールは、「音楽のまち・かわさき」のシンボル。音楽のまちの灯を消さないため、市内の音楽大学等の協力をいただき、施設を活用したコンサートの企画や、川崎市に避難している福島の方々を励ますためのイベントの企画等を行ったんだって。

そんなこんなで、2年前に幸区長就任。区長になるんだったら、幸区長が今まで一番良いなと思っていたって。とても嬉しいな。生まれも育ちも川崎市の関区長。ワクワクした楽しい街を育てるマインドは一緒でした。

また、おじゃまして、持続可能なコミュニティ作りを語りましょう!幸区盛り上げますよ。