この数字なーんだ?【1】川崎市で国宝が出土されたのは幸区だけ!オンリーワン!

幸区今昔物語

幸区今昔物語

幸区東芝町今昔物語

小向事業所の歴史の幕開け 東芝の前身の会社が、当時増大していた無線機需要を満たすため、1937年12月3日より川崎市小向字中原耕地に部品工場の操業を始めました。これが小向事業所の歴史の幕開けです。 現在の小向東芝町に工場が建設された当初(1...
幸区今昔物語

梅園幼稚園今昔物語

女性と子どもの教育で黄綬褒章を受けた初代園長、時代に沿ながらも、変わらない人間力教育は今も梅園幼稚園の代名詞! 本日お話を伺った現園長の薄井珠頭先生。この日、七夕の準備中で竹が運び込まれていました。卒園生のみなさんにメッセージを一言!「親を...
幸区今昔物語

川崎鶴見臨港バス今昔物語

川崎鶴見臨港バスは、今年で創業83年。ずっと同じ屋号で営業している民営のバス会社としては神奈川県内ナンバーワン!これまでの歴史と、今の取組みを伺いました。
幸区今昔物語

南部市場今昔物語

昭和三二年三月。中央卸売市場として業務を開始した「南部市場」。国道隣接の立地であり、同年十二月には南武線の引き込みを行い、トラックと鉄道を使った大規模な物流を行う中心的な場所でした。 中央卸売市場だった頃の朝の活気ある競りの風景。大田市場も...
幸区今昔物語

今昔物語番外編「惣之助の家」

前回、宮澤賢治と川崎の関わりとして佐藤惣之助について紹介しました。 その惣之助の家は、現在は川崎信用金庫本店です。その前は惣之助自宅。その前は…? その前は川崎の中でもとても有名な場所だったということで、こちら「東海道かわさき宿交流館」で紹...
幸区今昔物語

今昔物語番外編「宮沢賢治と川崎市」

ナギノートより引用 実は宮沢賢治が来たかもしれない川崎市 惣之助の墓 作詞家:佐藤惣之助のお墓です。残念ながら老朽化につき、墓前までは入れません。 佐藤惣之助は、現在、幸区の正教寺というお寺で眠っています。こちらのお寺、『正教寺前』というバ...
幸区今昔物語

ソリッドスクエア今昔物語

川崎駅前の昔 昭和9年金子常光鳥瞰図「工場は川崎へ」 菓子、医薬品の製造をしている明治製菓。1919年〜1989年までの70年間、ここには川崎駅前のシンボルだった明治製菓の工場がありました。 明治製菓株式会社川崎工場 ここではキャラメル、ド...
幸区今昔物語

大相撲愛好家今昔物語

※中川部屋は現在、閉鎖しております はじめてガイド編 好角家 好角家(こうかくか)は相撲ファンを指す日本語です。 場所中、両国国技館の前は、一目力士を見ようと大勢の人が!特に、午後2時頃が出入りが多く、車のドアの閉まる音がする度に騒然として...
幸区今昔物語

古川保育園今昔物語

『古川保育園の今』令和元年保育園事情 古川保育園は、JR鹿島田・矢向駅から徒歩20分の立地にある市立保育園です。幸区内の市立保育園は、かつて13園あった時代もありましたが、現在は民営化が進み、6園となっています。 幸区には、認可・認定・認可...
幸区今昔物語

御嶽神社今昔物語

維時寛政元龍舎巴酉三月吉且 8年前の東日本大震災。御嶽神社も被災し、男坂石段手前にあった鳥居と拝殿前の灯籠を失いました。その鳥居に書かれていた文字が「維時寛政元龍舎巴酉三月吉且」。現在境内に残る一番古い記録です。 『新編武蔵風土記稿』に記載...
幸区今昔物語

さいわい緑道今昔物語

『さいわい緑道の今』今も残るなごり 現在のさいわい緑道は、周辺の町内会が熱心に草花を植えたり、休憩所を作ったりして、散歩を楽しめる憩いの場になっています。 多摩川から矢向駅まであった線路が緑道になったのですが、緑道は途中の幸区神明町で途切れ...
幸区今昔物語

御幸公園今昔物語

『御幸公園の今』梅林復活で地域活性化 御幸公園は、国道一号線と多摩川が交差するところにあります。約三万平方メートルの、芝生やグラウンドがある広々とした園です。遊具は少ないものの、見通しがいいので、小さなお子さん連れでも安心。 幸区では、梅林...