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幸区東芝町今昔物語

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小向事業所の歴史の幕開け

東芝の前身の会社が、当時増大していた無線機需要を満たすため、1937年12月3日より川崎市小向字中原耕地に部品工場の操業を始めました。これが小向事業所の歴史の幕開けです。

現在の小向東芝町に工場が建設された当初(1940年頃)

第二次世界大戦末期になると本土空襲が熾烈になり、1945年4月15日には約300機に及ぶ爆撃機B29の来襲により、生産現場のおよそ90%を焼失しました。軍需工場として製造を行っていたため、終戦後は一時的に生産目的を失いましたが、戦火を被った建家に大金を投じて改装し、生産も少しずつ再開されました。1955年ごろより、気象レーダや航空監視レーダを完成納入するなど、気象観測や航空保安の分野に大きな実績を残しました。この後も、これらの電波機器事業は拡大を重ね、1973年頃より海外への航空管制レーダ等の納入も行い、輸出も大きく伸長しました。

1961年7月には中央研究所の名称で研究開発センターが設立され、当時は東洋一の研究所と言われていました。研究所設立直後の1961年と超LSI 研究開発棟が完成した1984年には、現在の上皇陛下が皇太子の時代にご視察されています。

1975年に小向事業所では「第1回こむかいお祭り広場」が開催されました。本行事はその後、株式会社東芝の創立記念日の行事として定着し、以降コロナ禍前の2019年まで継続して開催されました。1993年に株式会社東芝は光海底ケーブル通信分野に参入し、小向事業所はその中の給電装置を担当しました。1999年にはローコストと厳しい安全性規格をクリアした太平洋・大西洋向け光海底ケーブル給電装置を開発し納入を開始しています。

2005年にはセキュリティ・自動化部門も柳町事業所から小向事業所へ移転し、2007年にIC カード対応の定期券発行機と自動改札機の運用開始に合わせて製造と納入据付を完遂しました。2011年の東日本大震災の際には、電力不足等で生産活動に大きな影響があるなか、工夫を凝らし納期を遅延せず納入しただけでなく、被災地納入機材の復旧支援を行いました。

高精度の雨量観測が可能となり、防災・減災に大きな威力を発揮することが期待される気象レーダ

現在は、高精度の雨量観測が可能となり、防災・減災に大きな威力を発揮することが期待されている「マルチパラメータ・フェーズドアレイ気象レーダ」や、紙幣の計数、正損検知、真偽判定、方向揃えを行う「銀行券鑑査機」など、引き続き社会に貢献する製品の開発、製造を行っています。また、研究開発センターでは、軽量薄型で曲げることができるため多様な場所に設置可能な「フィルム型ペロブスカイト太陽電池」や、量子物理学の原理法則を応用した理論上盗聴が不可能でセキュアな通信を実現する「量子暗号通信技術」など、先端技術の研究開発を進めています。