御嶽神社今昔物語

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維時寛政元龍舎巴酉三月吉且

8年前の東日本大震災。御嶽神社も被災し、男坂石段手前にあった鳥居と拝殿前の灯籠を失いました。その鳥居に書かれていた文字が「維時寛政元龍舎巴酉三月吉且」。現在境内に残る一番古い記録です。

『新編武蔵風土記稿』に記載されている鳥居。内容は「今このとき寛政元年、星の宿りは巳酉3月吉日」元号と干支が併記されています。「龍舎」はあまり見ない表現ですが「歳次」と同様に年回りを示すことばです。あえて龍舎を選んだのは、周囲をぐるり水路に囲まれていた土地柄、水神が身近な存在だったからではないでしょうか。「寛政」は、前元号「天明」に災難が相次いだため改元されました。終わりの見えない冷害と飢饉の中で、この鳥居は建てられたのでしょう。

今回、境内の調査をさせていただき、氏子会の小島春男さん、渡邉誠二さんにお話を伺い、御嶽神社と代々の氏子会の営みの中に、御嶽神社の謎を解くヒントがありました。

御嶽神社は専属・常駐の神主はおらず、「氏子会」とよばれる組織で管理運営を行っています。

元旦祭・節分祭・例大祭。特に例大祭は「とにかく賑やかに盛り上がる催し物を」と、時代に合わせた演目で常に境内が人でいっぱいになる賑わいをみせています。9月の例大祭は『新編武蔵風土記稿』によるとかつては豊作の年にのみ行っている祭りでした。氏子たちが大いに喜び合うのは今も昔も同じ光景です。

今回の調査中に、お宮参りの一家が参拝に来ていました。「御嶽神社を伝えていきたい、守っていって欲しい」小島さんは、そう願いをお話されていました。