この数字なーんだ?【350】去年の「鉄ハグ」でミニ新幹線に乗ったお友達の数だよ!

絵本作家 かこさとし氏と川崎市鹿島田

かこさとし氏と川崎市鹿島田のイメージ画像
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古市場が子ども達に教えてもらった最高の教場だった

かこ先生と鹿島田について調べていくうちに、3人の目がキラキラした人に会いました。

1人目は北野社長。生前のかこ先生をご存知で、かこ先生の戦後の社会貢献活動がどれほど温かいまなざしで行われていたか、そして、その活動においての子どもたちとの交流こそが先生の絵本作品の原点であり、世界観そのものだということを教えていただきました。

2人目は保育園の園長先生。「かこ先生」という名前がでるだけで、頬が上気して嬉しそうな先生。私に十冊の絵本を手渡し「是非に読んでみて欲しいの。面白いお話で、私が子どもたちに読み聞かせすると、本当に喜んでくれて、思い出いっぱいの本なのよ!」と。

帰宅して絵本を開いてみると、6歳の娘がやってきました。一緒に読んでいると、画面いっぱいに沢山の人が描かれている場面では「これ、わたし」「これ、おかあさん」と沢山の人の中の一人を指差し。物語も飽きる間もない展開で、最後はきちんとおしまい。

「おもしろかったね!つぎはどれをよむ?」とキラキラしている娘が3人目です。こんな素敵なキラキラを作り出す、かこ先生の作品の原点が、ここ、鹿島田にありました。

鹿島田周辺のかこ先生ゆかりの見所

旧セツル・ハウス制作

昭和25(1950)年に下出医師夫妻と地元青年によって設立されたセツル最初の診療所。勉強会、子ども会、市民部等はその中にある2畳くらいの部屋を根拠地として活動した。

旧セツル診療所

2丁目の集会場のところに、セツル・ハウスより独立して移ったセツルメント診療所があった。現在は場所を移している。

三角公園

児童公園ひろばは、いくつかあったが、通称「三角ひろば」といわれていた現在の古市場第二公園が、かこ氏たちのセツルメント活動の中心地だった。

旧かこさとし住宅

明治天皇が行幸された梅林のある公園のすぐ近く、県公社の建売コンクリ2階6軒長屋の2軒目にかこ氏は住んでいた。2人の娘が生まれ育った家でもある。

旧昭和電工中央研究所

かこ氏の当時の勤め先。多摩川大橋を渡り、歩いて通勤していた。

北野書店

かこ氏による1950年代の鹿島田の地図や生い立ち、活動を紹介するパネルが、お店の外観に設置されている。

制作:ナギノート