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御幸公園今昔物語

御幸公園今昔物語のイメージ画像

『御幸公園の今』梅林復活で地域活性化

御幸公園は、国道一号線と多摩川が交差するところにあります。約三万平方メートルの、芝生やグラウンドがある広々とした園です。遊具は少ないものの、見通しがいいので、小さなお子さん連れでも安心。

幸区では、梅林を復活させ、御幸公園を憩いの場、集いの場として地域コミュニティの活性化を図る取組が進んでいます。植樹のための寄附・募金も受け付けています。

幸区役所総務課
TEL:044-556-6645

【画像上】明治天皇臨幸ご観梅跡(2015年3月)
写真提供:インターネット川崎ガイド

【画像下】うめかおる寄付・募金パンフレットより

『御幸公園の昔』天下の名所 小向の梅

小向村では、水害に耐える作物として江戸時代に梅を植樹。収穫した梅は、江戸に出荷され、食卓に上がりました。

明治一三年、新聞に掲載された記事をきっかけに梅の花の名所として有名になります。その評判から天皇の行幸があり、この地は「御幸」と名前を変えました。

この時の梅林の広さ、七町歩五反(東京ドーム約一.五個分)。何千万株あるか、わからないほどの梅林。明治三七年頃、原三溪がこの地を訪れた時に、梅が老木となり実がつかなくなったので、やむなく伐採して薪にすることを耳にします。天皇も愛でた梅林をそのようにするのは非情だと憂い、自身が所有する横浜の三溪園に七百本を移植。三溪園開園当時『御幸の梅』は話題になりました。

三溪園を造園した原三溪による連載記事『横浜貿易新報』
明治40年2月
【左】15日『御幸の梅』上
【右】16日『御幸の梅』下
三溪園は記事掲載の前年に開園しました。